熊本城の石垣・武者返しとは

熊本城の特長の1つに、石垣があります。
 
熊本城の石垣は、加藤清正が近江国から率いてきた特殊技術を持つ石工集団、「穴太衆(あのうしゅう)」よって作られました。
 
熊本城の石垣は、地面付近は勾配がゆるく上に行くにしたがって勾配がきつくなる独特なもので、武者返し(むしゃがえし)「清正流石組」などと呼ばれています。
 
石垣の下の方は30度程度とかなり緩やかですが、上の方はほぼ垂直に近い絶壁になってます。
 
 


石垣の裾の方は傾斜も緩く、最初はけっこう登れるのですが、上にいくほど反り返って最後までは登れないようになってるのです。
 
城に侵入してきた敵の武者を返してしまうことから、武者返しと呼ばれているようです。
 
石垣の積み方も時代によって異なっていて、上の写真の「二様の石垣」では、加藤清正時代の勾配の緩やかな石垣(右側)と、細川時代の勾配の急な石垣(左側)を一度に見ることが出来ます。
 
左の急な方は「算木積(さんぎづみ)」と呼ばれる石垣の積み方で、石垣の角(出隅〔ですみ〕)の部分には長方形の石を左右交互に積んであります。
 
そして右の緩い方は「穴太積(あのうづみ)」と呼ばれる石垣の積み方で、石垣の角の部分には同じような大きさの石を積んでいってます。
 
時代によって違う石垣の積み方を同時に見れて、石垣の積み方や角度がよく分かります。
 
 


この「武者返し」と呼ばれる石垣の築き方は、長い年月が経つ事によって石垣が膨らみ、石垣が崩壊するのを防ぐために考え出されたようです。
 
それと熊本城が建っている茶臼山(標高50m)は、熔結凝灰岩で脆く地盤が軟弱なため、石垣の崩壊を防ぐ為に裾の角度を緩やかにし、石垣のすわりを良くする為いう理由もあるようです。
 
 


宇土櫓部分の石垣です。高さもあってかなり迫力があります。
 
 
 


こちらは高さが約20mにもなる石垣です。
左の建物は東十八間櫓、右の建物は北十八間櫓で、どちらも重要文化財に指定されてます。
 
この武者返しの曲線は、実際に見てみるとかなりキレイで安定感がありますよ。
 
 


櫓などの建物は明治期に取り壊されたり、西南戦争で焼けてしまったりしてますが、熊本城の石垣はほぼ当時のままの姿で残ってます
 

熊本城の石垣・武者返しを動画で紹介

▼You Tubeに熊本城の『二様の石垣』前で、石垣の歴史や技術を紹介している動画があったので、貼り付けておきます!
 

 
 

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