熊本城の歴史

 

熊本城(くまもとじょう)は熊本県熊本市にあるお城で、大坂城、名古屋城と並んで日本三名城の1つです。
 
城郭は約98万平方メートル(東京ドーム21個分)、周囲は約5.3kmという広大な敷地に、大小の天守閣、櫓(やぐら)49、櫓門18、城門29を備えるという、全国でも有数規模のお城です。
 
熊本城の歴史は古く、加藤清正が設計し慶長6年(1601年)に築城着手、1607年に完成しました。
 
熊本城は熊本市中心部の茶臼山(海抜50m)に築かれましたが、地質は熔結凝灰岩で脆く、崩壊しやすい為、山は雨による侵食も目立っていました。
 
 

石垣は裾は角度が緩く、上に行くほど角度が急になる、「武者返し」と呼ばれる熊本城独特のものですが、この脆い土地の崩壊を防ぐ役割もあるようです。
 
また、熊本城には籠城に備えて約120もの井戸が掘られ、深い井戸では約40mの深さがあります。現在でも17カ所が残っています。
 
明治明治10(1878)の西南戦争では、熊本鎮台司令官・谷千城以下約3400名が守る熊本城を、西郷隆盛率いる薩摩軍約13000名の50日に及ぶ攻撃を受けますが、落城には至りませんでした。
 
結果として、西南戦争により熊本城の強靭さは近代戦争にも耐えうる堅固な城と言う事が、実践で証明されたのです。
 
 
しかし、この西南戦争の際に天守閣と本丸御殿一体は焼失してしまいました。
 
この時の出火原因には、「失火説」「放火説」「自焼説」などいくつかあるのですが、本当のところは今でも良く分かってません。
 
 

そのため、現在ある天守閣は昭和35(1960)年に再建された、鉄筋コンクリート製のものなのです・・
 
ただ、鉄筋コンクリート製とはいえ、外観は瓦の列や数など細部まで忠実に再現されてるみたいですけどね。
 
この天守閣内はエアコン完備(1・2階のみ)で、中は快適です。
 
 
熊本市はこの熊本城を中心に形成されていて、熊本城を中心に北を城北、東を城東、南は城南、西は城西と、お城を中心とした区分がされています。
 
また、辛島町から熊本駅付近の一帯には、当時の城下町の町割りそのままに道路が走っていて、呉服町、魚屋町、古大工町、紺屋町等、かつての職人町の地名も多数残っていて歴史を感じさせます。
 
熊本市街は熊本城を中心に発展してきて、今でも歴史の流れを受け継いでいるんですね。
 
 

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